おすすめの本

無料ブログはココログ

トップページ | 2008年2月 »

2008年1月31日 (木)

がんばれ受験生

 明日から2月。受験生にとっては正念場を迎えます。小学校から大学、もしくはそれ以上の学校等の試験がこれから相次いで行われます。朝の通勤電車の中で試験場に向かう受験生らしき姿を見かけました。声には出しませんが、心の中で応援しました。
 少子化の影響でこのところ各学校は定員の確保が難しくなりつつあり、さまざまな形の試験を実施されています。今日の時点で進学先がすでに決まっているという人もかなりいるのが実情でしょう。ただ、報道によると人気のある学校の志願者は増えているといいます。あえて狭き門を選んでまで、希望の学校を目指す人が多いのでしょう。
 受験にはさまざまな弊害もあります。それでも、人生を自らの努力で決める節目の働きをしているのは確かです。その意味でどんな形であれ、各人の努力の結果が認められて次のステップに進むという形式は大切にしたほうがいいと思います。なにもしなくても入学できてしまうという状況は、その意味で不安が残ります。
 もちろん私たちが学生であったころと違って、有名大学に入学すればその後の人生がある程度保障されるという迷信は今はほとんど消えかけています。入学後にどれだけ勉強するか、経験を積むかが大切になっていると思います。でもやはり学ぶ仲間、向上心が強い仲間が多い学校に入った方が、自分のためになるということは変わりありません。受験生たちが希望の学校に入れることを願わずにおれません。

2008年1月30日 (水)

ハンドボールと校庭と

 オリンピックの予選やり直しという前代未聞の事態で俄然注目されているのがハンドボールという競技です。結果的に男女とも日韓戦になりましたが、アジア全体として開催できなかったことは今後も引き続き問題になることでしょう。昨夜は女子が残念な結果になりましたが、それもそのはず韓国チームはオリンピックの常連でありメダル取得の実績もあります。実力差はかなり大きいといわざるを得ません。男子も状況は同じです。今夜は善戦を期待します。
 日本のハンドボールを強くするにはこの競技の注目度をあげる必要があります。学校教育の現場ではかなり頻繁に行われているこの競技ですが、競技人口は少ないと思います。日本リーグも行われていますが、チームの所在地が中京地区に集中しており全国的な盛り上がりを期待しにくい状況にあります。今回、女子の日韓両チームに選手を輩出した広島メイプルレッズのような個性的なチームがもっと多くの地域にできない限り、国際的レベルへの底上げは難しいのではないでしょうか。
 ハンドボールは屋内でも屋外でも行うことができます。また必要な道具が少なく、比較的簡単に始められる競技です。降雪地域などにもハンディがなく、野球やサッカーとは別の形の全国展開が期待できることも魅力的です。サッカーに比べると得点の機会も多いので観戦にも向いていると思います。個人的には女子の競技として、遠い将来プロ化も可能なのではないかと思うのですがいかがでしょうか。韓国のクラブもリーグに加われば、と夢は広がります。

 ところで、ハンドボールというと私は母校の中学校の校庭を思い出します。私の通った中学校は都心部にありました。バブル経済時代の地価高騰で多くの住民が郊外に移転したことと、少子化の影響を受けてかなり前に廃校になって今はありません。その中学校の校庭はまさにハンドボールコート一面分しかなく、屋外スポーツのクラブはハンドボールと私の所属していた軟式庭球部だけしかありませんでした。ハンドボール部はあまり人気がなかったと思います。しかし、ジャンプシュートや、倒れこみシュートをする部員の姿はいかにも格好よく憧れの的でした。体育の授業で試合をした時、ボールをキャッチしてから3歩も走れることに戸惑いながらも、そのスピード感には大変魅力を感じました。運動神経に少々欠けていた私はうまくドリブルができなかったことが残念でした。
 狭い校庭を駆け回った記憶が、私にとってはハンドボールということばと不可分にあるのです。

2008年1月29日 (火)

ペットボトルのキャップでできるボランティア

 ペットボトルの回収はかなり徹底してきました。私の住む自治体ではペットボトルだけの回収日が設定されており、キャップや包装されているビニールをはがして回収箱に入れるのが定着しつつあります。ジュースやミネラルウオーターなどペットボトル容器を使う商品を買う機会は意外に多いので、我が家ではかならず分別しています。
 ところで、今までは捨ててしまったキャップ部分でできるボランティアがあることを最近になって知りました。職場で回収が始まったのです。ペットボトルのキャップはリサイクル業者が買い取ってくれるようで、その収益を「世界の子どもにワクチンを日本委員会」を通して開発途上国のワクチンの購入に当てるそうなのです。実際に個人や各種団体で収集されたキャップを回収し、換金しているのは「エコキャップ推進協会」や「NPO法人Reライフスタイル」などの団体です。ReライフスタイルのサイトによるとMMR(麻疹・おたふくかぜ・三日麻疹)ワクチン1人分約114円相当は2200個のキャップで、麻疹(はしか)ワクチン1人分約95円相当なら1850個で、ポリオ(小児まひ)ワクチン1人分約20円相当なら400個で購入できるということです。
 捨ててしまうものでできるボランティアがあるということを知るとやってみたくなります。環境破壊の防止にもなります。詳しくはご紹介したサイトなどでご覧ください。

2008年1月28日 (月)

福士加代子選手の記録は平均時速15キロを超える

 昨日の大阪国際女子マラソンではトラックの中・長距離界の日本記録を多数持つ福士加代子選手の力走と失速が話題になりました。テレビ中継を観ていた私は何度も転倒しながらもゴールをあきらめない姿に素直に感動しました。持ち前の明るいキャラクターから「爆走娘」とマスコミに命名された彼女が、表情を崩しながらも棄権をしなかったことは記憶すべき今年の話題の一つになるでしょう。
 陸上の専門家のコメントを見る限り、練習不足と作戦不足が敗戦の原因だということです。確かに報道によるとマラソンの練習を始めてからわずかで20キロ以上の距離を走っていないというのですから、そういわれても仕方ないかもしれません。準備さえ整えば新記録達成の可能性がある選手だという予感だけは確実に残したと思います。
 それよりもふらふらになった彼女を必死で応援する沿道やスタンドの観衆の姿に、彼女の人徳を感じたのは私だけではないでしょう。トラック競技での復活を期待したいと思います。
 さて、彼女の今回の記録は2時間40分54秒ということですが、この記録について調べてみました。現在の女子マラソンの世界記録はイギリスのボーラ・ラドクリフ選手が2003年にロンドンで記録した2時間15分25秒です。日本人では北京オリンピック代表に内定している野口みずき選手が2005年にベルリンで記録した2時間19分12秒です。ラドクリフ選手の世界記録を時速に換算すると約18.8キロです。(ちなみに男子の記録は昨年ベルリンでエチオピアのハイレ・ゲブレセラシェ選手が記録した2時間4分26秒で、平均時速は20キロを超えます!)福士選手の今回の記録では時速約15.7キロになります。実は15キロで走るのはたやすいことではありません。自転車でこの速度を保つのはけっこう大変です。ちなみに福士選手の記録は1909年までは男子の世界記録でした。
 マラソンは地形や競技地の雰囲気にも影響される競技なようです。ベルリンマラソンは記録の出やすい大会で男女とも歴代記録に多数絡んでいます。実は大阪国際女子マラソンも記録が出やすいコースのようです。比較的平坦な地形と都市部を走るため応援の列が途切れないことが関係しているのでしょうか。
 福士選手の活躍の陰に隠れてしまいましたが、他の選手たちの活躍も光りました。女子マラソン界がますます盛んになるようで楽しみです。

2008年1月27日 (日)

未来少年コナンの生きる未来

 子どものころに好きだったアニメに未来少年コナンがありました。NHKで放送していたので、自然にチャンネルがあっていたようです。宮崎駿さんが関わっていたことはずっと後で知りました。当時の私にとってはスケールの大きなストーリーと登場人物のいきいきとした動きが新鮮で魅力的でした。
 この話は世界大戦後に残された人々の話です。核兵器をはるかに超える大磁力兵器による戦争が地球の地形を変え、人口は半減してしまうという設定です。番組の最初にこの説明があってからテーマ曲が始まりますので大変印象的でした。
 実は先日たまたまケーブルテレビで再放送されているのを観ました。懐かしく思っているとその大戦争の説明のナレーションに驚いてしまいました。戦争は2008年に起きているのです。
 最初の放送があったころは東西の冷戦時代で、核戦争の脅威が常に論じられていたと思います。当時にとっての近未来である2008年が大戦の年に考えられたのは無理ではなかったのかもしれません。
 コナン少年が活躍するのは確か戦後20年の世界であったと思います。大戦の後でも支配権を握ろうとする人間の性が展開される例のストーリーです。
 幸い今日までは新型大量殺戮兵器が使われた世界大戦はありません。ただ局地的紛争やテロは絶えることはありません。温暖化による環境破壊も心配です。未来少年コナンが生まれる世界が現実化しないように私たちは考えていかなくてはなりません。

2008年1月25日 (金)

鉄道事故に思う

 昨日は2種類の列車事故に巻き込まれるという実に不運な目にあいました。私の利用する電車は都心から郊外に延びており、通勤時間帯は慢性的な混雑状態にあります。昨日は最初の人身事故の発生が夕刻であったので、帰宅する多くの人々に影響が出ました。乗車駅のひとつ先の駅から折り返し運転をしているという情報が入ったので、私は徒歩でその駅を目指すことにしました。携帯電話についているナビを活用して最短距離の道を選び、途中街灯のないくらい階段を上ったり、急な坂道を下ったり、車が通れない細道を進んだりしてようやく到着できたのです。
 その時ようやく電車は復旧したところであり、来た電車は満員で乗れそうもありません。仕方なく最初に来たのは見送ることにしました。その5分後、その駅の始発電車に乗って帰路につきました。順調に進んできたのですが、あと一駅で目的の駅というところで今度は線路に故障が見つかったとのことで停車。結局、またひと駅分歩くことになりました。こんなことは初めてです。不幸中の幸いといえば、最後の停車駅が目的駅と近かったこと。これが遠ければバスやタクシーを探さなければならなくなったはずでした。
 事故に巻き込まれたのは災難でしたが、鉄道がもし使えなくなったらどうなるかということを体感する機会を得られたことには意味があったと思います。自分の生活が一本の鉄道だけに支えられているということは、考えてみれば大変不安定な状況にあるということになります。危機管理として第2、第3のアクセス方法を考慮しておくことは大切なことだと実感しました。

2008年1月24日 (木)

「百度」を試してみました

 中国のインターネット検索サービス「百度(バイドゥ)」の日本版が公開されました。このサイトに関する評価はさまざまですが、中国版に存在するMP3検索は、著作権問題に抵触するせいか日本では省略されているようです。試みにこのブログsite3216を検索したところ、確かにヒットしました。この検索サイトはヤフーやグーグルに対抗する第3の検索サイトという触れ込みです。ただ、今見る限り目新しさはなく、魅力はさほど感じません。聞くところによるといわゆる有害サイトへのフィルタリングが甘いので、問題のあるサイトや映像へリンクしてしまいやすいという話もあります。

また、いわゆる言論統制の問題ですが、「天安門事件」も「中華民国」も「南京大虐殺」を虚構だと主張するサイトへの検索も可能で、リンクも動作しています。これは日本版だけの処置なのかどうかは分かりません。私はかねてから中国人のインターネット利用に関して根本的な疑問を持っています。言論の統制とインターネットの自由性とがどうして共存できるのかがよく分からないのです。

いわゆる反日運動が起きた時、その原因は中国政府による言論統制や情報規制、一元的な反日教育であると述べられていました。日系企業の打ちこわしをSONY製のデジタルカメラで撮影して意気揚々としている市民の姿がレポートされると、中国人の知識不足を疑わざるを得なくなったものです。しかしインターネットの利用者なら、世界が中国をどのように見ているのかに気がつく人がもっといてもいいのではないかと思うのですが。

私は世界が欧米中心でいわゆるグローバリズムを推し進めてきたことに関しては批判的な考えを持っています。アジアの視点を主張すべき時には、主張しなければなりません。ただ、その際にはアジア諸国の中での相互理解を深めておく必要があります。私のような疑心暗鬼の者がいるかぎり、新機軸を世界に打ち立てるのは難しいでしょう。百度の日本上陸はこの問題にとって象徴的な事件といえるのかもしれません。

2008年1月23日 (水)

何センチで大雪注意報?

 東京では久しぶりに積雪がありました。昼過ぎからは霙混じりになって、雪合戦を楽しみにしている子供たちには残念な結果になりました。それでも今朝は雪に伴う交通の乱れがあったようで、私の利用する鉄道でも15分程度の遅れが発生しました。
 私は以前富山に住んでいました。
まとまった降雪があると朝の仕事が一つ増えたことを思い出します。雪の中に埋もれている車を掘り出し、車庫から車道までの除雪をしなければならなかったのです。エンジンがなかなか掛からなかったり、スタッドレスタイヤでもスリップしたりしてかなりスリルがありました。雪道になれている富山県人でも、勢い余ることがあるらしく、車道から車が田んぼに滑り落ちて動けなくなる事故が一冬に何回も発生していました。私も危機一髪だったことがあります。また落ちた弾みで横転した車の中から、搭乗者の脱出を手助けしたこともあります。
 ところで気象庁のサイトによると、東京都平野部では24時間の積雪が5センチを越えると大雪注意報が発令されます。20センチを超えると警報になります。富山県平野部では30センチで注意報、60センチで警報です。ちなみに札幌では12時間の積雪が20センチで注意報、40センチで警報だそうです。雪の備えは地域によって違うのでこのような差を設けているのでしょう。
 再び富山時代の話です。雪上を歩くことに関してはかなり要領を得たつもりでいたのですが、正月に当時の父の赴任地であった札幌に遊びに行った時に不覚にも歩道で転倒してしまいました。富山の雪は湿って重たく、札幌の雪は硬く路面は凍結しているのです。その後、東京に戻ってから何年か前のある日、わずかに積もった雪道でやはり転びそうになりました。今日も関東地方では雪のために怪我をされた方もいらっしゃると思いますが、私は決してその方々を笑うことはできません。

2008年1月22日 (火)

地産地消

 原油価格の高騰に、世界同時株安と経済的な不安が噴出しているこのころですが、そんな中で感謝していることがあります。それは近くのスーパーで安い野菜を手に入れることができるしくみがあることです。そのスーパーはちょっとした高級志向があって、比較的高めの値段設定がなされています。刺身の小さなパックが1,000円以上するのを見て、誰がそんなものを買うのかと思うのですが、いつも並べられているところを見るとやはり買う人がいるのでしょう。

 そんなスーパーの一角にJA甘楽富岡の直販コーナーがあります。ここで売られている野菜は他の産地のものより安く、品質も劣らないので大変助かっています。ただ、入荷量はさほど多くないのと、種類が限られているのでいつでも使えるわけではありません。また、最近、東京都産や神奈川県産という野菜も多く売られるようになりました。物によっては少々値段が高めの設定になっていることもあるのですが、品物はよさそうです。

 先日、「フード・マイレージ」という本を読みました。これは日本の食糧がいかに遠くから搬送されているかを、産品の質量と輸送距離を乗算したトン・キロメートルなる単位で表される数値で論証したものです。わが国の食料は海外から供給されるものが多く、フードマイレージの高い国なのです。搬送の際には多くのエネルギーを消費します。その結果、温室効果ガスの排出も相当な量になります。また産物を買うということはそれを育てるのにかかる水資源を消費することにもつながります。歴史的な大干ばつで苦しむオーストラリアから、わが国は多くの食料を輸入していますが、水の足りない国から結果的に大量の水を買い取っていることになります。

 地球環境を考えることが私たちの不可避の問題ですが、そのためには食料の地産地消をすすめなくてはなりません。経済的な問題点をかかえる現在こそ、このことを考え直すいい機会ではないでしょうか。地元の農業を支援することは、地元で取れる農産物を安心して食べられるような環境保全を意識することに直結します。国際情勢や経済状況に左右されにくい食糧自給システムを作っていく必要があると思うのです。

フード・マイレージ

2008年1月21日 (月)

悪あがきのすすめ

 OECDが調査した学力調査で日本の学力ランキングが下がったことが話題になりました。最近の日本の不振にはさまざまな要因があるといわれています。ある学者は政府のゆとり教育政策の失敗を論います。確かに薄っぺらの教科書を一度でも見たことがある方はそんな不安にかられるでしょう。詰め込み教育の反省として行われた教育内容の削減は、それに代替するものが検討されないまますすめられてきました。総合的学習の名のもとに試行錯誤されてきた学習活動の中にはうまく機能していないものもあります。近頃はこうした動きへの反動として従来型の学習方法の見直しが行われています。「詰め込み式」礼賛の声も聞かれます。

 さて、私は教育の現場にいるものとして気がかりなことがあります。つまり、答えが正解か不正解かどちらかしかないと考える子供たちがあまりにも多いということです。分かる問題には答えても、分からない問題には一切答えない。空欄ばかりの答案が多いのです。私のように国語の教員をしているものにとって、正解は一つではなくいくつかの表現の仕方があることはいわば常識なのですが、その国語でも空欄にしてしまう生徒が多いことを日々実感しています。このことが日本の教育の問題点なのではないでしょうか。こうした現象が起きるのは、こどもたちがある問に対して答えは一つしかないと考えていることを意味します。そしてその答えは先生が教えたことか、教科書に書いてあることであり、そのほかには考えられないことになります。そういう子供たちは、運よく答えを覚えていれば書けますが、忘れてしまったか、聞いたり見たりしたことがなければ、答えられないことになります。

 国際的学力調査であいかわらず強いのがフィンランドです。フィンランドのこどもたちの答案には空欄は少ないと聞きます。とんでもない間違いをしていてもとにかく書く。そういう雰囲気が出来ているようなのです。とにかく書くためにはそのつど自分の頭で考えることが必要です。日本の教育に欠けているのは、このそのつど自分で考え答えをひねくりだす「悪あがき」のなさです。

 こうした行動の責任は、もちろん性急に正解を教える日本の教育の方法にあります。教えるべき情報があまりに多いので、先に進めるために、こどもたちが考える時間を与える余裕がないのです。これからの教育はとにかく生徒に考える時間を与える必要があります。

 具体的はそういう雰囲気を作るのが教員の役割といえそうです。いうのは簡単ですが実はこれはとても難しい。生徒の答えを待っている時間はとても長く感じるのです。下手をすると授業そのものが崩壊しますし、生徒の自主性を尊重するあまり、学力差を助長することにもつながりかねません。生徒の思考力を引き出す力が、教師に求められる能力ではないかと考えます。

 「詰め込み式」教育を受けてきた私にとって上記のことがらは言うに易く行うに難き問題です。今日も授業を終えて、結局試験範囲の消化のため余裕がなかった自分を反省しています。今はとにかく自己意識改革からはじめようと思います。

楽天ブックスは品揃え120万点以上!

2008年1月20日 (日)

明日は銀世界?

明日は銀世界?
天気予報では今晩から雪になり積雪もあるかもしれないとのことです。確かに冷え込みは強いですがどうでしょうか。
西の空の太陽は薄い雲に遮られて弱々しく輝いていました。

バリューコマースで報酬GET!

2008年1月19日 (土)

センター試験は文理共通がいい

センター試験は文理共通がいい
晴れてはいてもとても寒い一日でした。センター試験の日は天気が荒れるという印象がありますが、関東地方は大丈夫でした。散歩の途中日向ぼっこをしている猫がいました。カメラを向けても動きません。

センター試験は、私が受験したころは共通一次試験といっていました。文系も理系も5教科7科目を受けましたので、全国の国公立大学が同じスケールの上に並ぶはっきりとした試験でした。いまは大学ごとに指定された科目を受ける制度になっていますので、かつてのような一目瞭然の序列は分からなくなりました。

もう受験することが絶対にないからいえることかもしれませんが、私としてはかつての全分野の試験の方がいいと思います。大学の序列化には反対ですが、大学生になる人が幅広い教養を身につけることは、やはり大切なことだと思います。

これから厳しくなる世界情勢の中で、将来を託す人物を輩出することは大事なことです。教育の現場に身を置く私にとってはこのことを忘れずに過ごしたいと考えています。

2008年1月18日 (金)

キス・アンド・クライ

 世の中には色々な言葉があって、その中にはその意味を知ると忘れられなくなるものがあります。ここ数年、フィギュアスケートは男女とも成績がすばらしく、注目されていますが、最近のテレビ中継で覚えたのが「キス・アンド・クライ」です。これはもちろん、kiss and cryのことのようです。ご存知の方はいわずもがなと思われるでしょうが、知らない方にとっては一体何のことだろうと知りたくなりませんか。

 このずいぶん艶っぽい名前は、スケート選手が演技を終えた後に採点を待つ場所の俗称なのです。得点が出るまで少々時間がかかることが多く、選手は緊張の面持ちで採点を待ちます。隣にはコーチが座って選手を励ましている姿もよくみられます。得点が出た瞬間の選手の表情の変化は、テレビ観戦者にとっては競技そのもの以上の「見もの」かもしれません。確かにキスもクライもよく見られます。これを知ると忘れられない名前になりますでしょう。

 明日からセンター試験が始まりますが、受験生諸君にとっての合格発表を待つ気持ちはキス・アンド・クライに座る選手と同じようなものなのかもしれません。試合後数分で結果が出るスケートのようにはいきませんが、合格の栄冠を勝ち取るまで努力を続けてほしいと思います。そして最後にはキス(はしないでしょうが)とクライ(といっても歓喜の涙)で終わってほしいと思います。

携帯電話で記事を編集すると

 ココログは携帯電話でも読むことができます。私はauの利用者ですが、日記の部分に限っていえばしっかりと見ることができます。ところが、いったんパソコンなどで送った記事を携帯電話で編集しなおそうとすると、記事が途中で切れてしまうなどの問題が生ずるようです。

 携帯電話でココログを楽しんでいる皆さん。よろしかったらアドバイスをお願いします。

2008年1月17日 (木)

満員電車の乗り方

 都会に復帰してもう6年もたちました。私の使っている通勤電車は郊外から都心部に向かう路線ですので、朝は信じられないくらい混雑します。今ではすっかりなれてしまいましたが、最初のうちは毎朝恐怖の日々でした。一番の心配は、混雑した車内から目的の駅でいかに降りるかということでした。私の職場は都心部からは少し外れていますので、降車駅からさらに乗り込んでくる人も多く、うっかり降りる準備を怠ると車両から脱出できなくなるのです

 ここで学んだことは、まず乗る車両を選ぶことです。途中駅の階段の位置が少しずつ違うので、多く乗ってくる場所が駅によって変わります。それを知っておけば、少しでも乗客の少ない車両を選ぶことができます。次に、立ち位置です。降りるためにもっともふさわしい場所を確保することが肝要です。扉の前に立ってはいけません。はじめはこれで失敗しました。満員電車では開く扉の前にいると駅に着くたびに、降車客のために一度降りなくてはなりません。すると、再乗車の際に人の波に巻き込まれて車両奥まで運ばれてしまいます。こうなると本当に降りる駅に着いても降りられなくなる危険性があります。試行錯誤の結果、扉の脇にある壁の位置をとることがもっとも安全であることがわかりました。この位置ならば乗車する人の波に巻き込まれることが少なく、降りるときには扉までの距離が近いのです。

 こういうことを考える時、私は同乗する人々を一種のものとして考えていることになります。そして自分自身も物体と化して力学的に位置取りをしているわけです。なんとも殺風景なことと思います。田舎に住んでいる時には閑散とした町に寂しさを感じましたが、都会では接触する人の数は多いのに、別の意味でさびしいものがあります。

 とはいえ、最近の私はさまざまなことを通勤車両で試みています。最近の読書に関していえばほとんど電車の中で行っています。片手でページをめくる小技も習得しました。最近は携帯電話で読書する方法もありますが、まだそれはやっていません。私の携帯電話はイヤホンを付けるとFMラジオにもなるのでそれを聴くこともあります。運動不足解消のためにつま先立ちして立ったり、片足の重心を浮かして立ったり、無駄な抵抗をあれこれやってそれなりに通勤時間に意味を持たせています。

 このようなことは都会に住む人にとっては当たり前のことかもしれません。また満員電車を知らない方にとっては不思議なことでしょう。毎日あたりまえに繰り返していることを今日は敢えて書いてみました。

2008年1月16日 (水)

旅は苦しきもの

 漢文の授業で劉禹錫の「秋風の引」を教えていて気づいたことがあります。この詩は、

   何れの処よりか秋風至る       どこから来たのか秋風は

   蕭蕭として雁群を送る           ものさびしげに吹いて雁の群れを見送る

   朝来庭樹に入り                     今朝がた庭の木に吹き込んだのを

   孤客最も先に聞く                  一人ぼっちの旅人が最初に聞いた

というのですが、最後の「孤客最も先に聞く」の解釈を問うように教師用マニュアルには書かれているのです。秋風の訪れを最初に聞いたのが一人旅をする作者自身だというわけですが、このことを中学生に考えさせるには色々な手続きが必要なようです。

 私たちにとって旅は楽しいものであり、お金を払ってまで行きたいものです。中には交通不便な観光地を敢えて選んでいくこともあります。しかし、この詩の作られた唐代において、旅とは辛苦をともなうものであり、できればやりたくないものであったということを考えなくてはなりません。まして一人旅ならば、その心細さはさらに大きいはず。そうした中で神経を過敏に働かせている人物は季節の変化を敏感にとらえたはずです。こうした感性は和歌の世界にも継承されていますので、古典を味わうための大事な要素ということになりましょう。

 旅することが楽しいことになった現在のありかたこそ、人類史上きわめて新しいものであること考えなくてはなりません。

2008年1月15日 (火)

年賀はがきの抽選日は27日

 今年の年賀はがきのお年玉くじの抽選日は27日です。これまで成人の日が抽選日でしたので、その感覚が抜けません。私以外も同じように考えられた方が多いようです。インターネットの検索サイトの検索語ランキングの上位にこのくじの当選番号を調べようとした形跡の言葉が数多く出ているのは、そのことを示すのでしょう。

 年賀状の発売枚数が今年は昨年並みだったそうです。ここ数年減少傾向が続いていたのに、今年は下げ止まったという見方が出ています。電子メールでは表現できない何かがあり、紙メールの価値が見直されたということになるでしょう。私も手紙はなるべく手書きで出したいと思っています。もちろん、このブログのように不特定多数の方にむけて発信する場合は電子媒体が便利です。というより、これがなければそんなことは出来ません。ですが一対一のコミュニケーションならばかえって手紙の方がうまく伝わることが多いのではないでしょうか。

 手紙はそれを書くのに時間がかかります。そして届くのにも一定の時間がかかります。その時間的な隔たりが、時にはコミュニケーションには必要だと思うのです。何もかもリアルタイムであればよいというわけではありません。

 くじの抽選が遅くなったのは、はがきをなるべく多く売ろうという配慮もあると思いますが、待つことの楽しさを思い出すには結果的によいことではなかったかと思うのです。

2008年1月12日 (土)

漢文を教えるのに大切なこと

 国語の授業の中で漢文は少々厄介な位置づけにあるものです。返り点や送り仮名をつけて古代中国語を読むこと自体に抵抗があったり、そもそも中国古典文学を読むことに意味を見出さなかったりする人は生徒だけではなく、大人にもたくさんいます。教師仲間にもいます。冗談交じりだとは思いますが、漢文をいくら勉強しても中国人と話せない。だから学校で漢文を教えるのはもう止したほうがいいのではという意見もしばしば聞きます。確かにそれは事実であり、私たちは漢文教育の際に学習の意義の説明からはじめなくてはなりません。

すなわち、日本の文化は古代中国文化からの影響を色濃く受けており、自国文化理解にはその知識が不可欠であること。今までのグローバリズムは欧米主導で行われてきたが、今後は中国や韓国など漢字文化圏のアジアの国々との交流が不可欠であり、その基礎になる漢文の知識は今後の外交にも必要であること、など話の種はいくらでもあるわけですが、中高生にはピンと来ない話であり、結果的にはセンター試験で配点の25%が漢文だからやりなさいなどと「卑怯な」手口に走ってしまうのです。

漢文を教える際に大切なのは、行間を読むことにあります。省略の多い漢文のスタイルを読みこなすのには、読者側の知識によって補わねばならないことが多いのです。その補いのためにはいわゆる古典常識とわれわれが呼んでいる作品世界の背景に対する知識が欠かせません。それを知っているのとそうでないのとでは、読解にたどり着く苦労が大変違ってくるのです。

漢文の世界では身分が下の者が、国王などの目上の者に教え諭すという逸話が数多くあります。たとえば蘇秦のような戦国時代の遊説家は諸国を渡り歩いて自分の政策を国王にアピールして仕官します。つまり、自分の技を王に買ってもらうわけです。これが現代日本人、特に中高生にはピンときません。王様に向かって政論を述べるのは命がけです。失礼なことをいえば命にかかわります。だから、直接ああしろ、こうしろとは言わず、何かにたとえて持論を展開し、相手に悟ってもらうという間接的な論法になります。漢文で動物が出てくる逸話が多く見られるのはこうした理由があるのです。

 これはほんの一部ですが漢文を読む際には、古代中国人の人生観や価値観を大雑把に知っておいたほうがよいし、実はその知識の法が大切かもしれないのです。こういったことを私はよく考えるのですが、では生徒に向かって漢文を講じるときにどこまでそれを伝えているかといえば、はなはだおぼつかない。句形を覚えるのがテストで点を取るのには近道です、などと繰り返して生徒をいわば脅して勉強させているのです。漢文(古文もそうですが)の本当のおもしろさを伝えられる国語教師にならなければといつも反省しているのです。

2008年1月11日 (金)

はじめに

 このブログは私の近況や、考えたことなどを自由に書いてゆこうと思います。

トップページ | 2008年2月 »

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック