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2008年2月29日 (金)

百人一首の天智天皇―私の古典文学散歩(1)

 百人一首の最初の一首は、

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
 
です。この歌の典拠は『後撰集』です。ちなみに百人一首は鎌倉時代の初頭に藤原定家が勅撰集の中から百人の名歌を選んだものです。天智天皇は大化の改新で活躍した中大兄皇子のことであり、近江大津京を都にした古代の天皇です。この時代の作品といえば『万葉集』ですが、その中にはこの歌はありません。万葉集に天智天皇の作品として残るのは明日香の大和三山を題材にした「三山歌」と鏡女王に贈った歌の2組(4首)が残るだけで、「秋の田の」の歌はないのです。
 百人一首のこの歌に比較的近いのが、
 
 秋田刈る仮庵を作りわがをれば衣手寒く露そ置きにける(万葉集巻十、2174)

ですが、この歌は作者未詳の歌です。万葉歌のごつごつとした調子に比べると、百人一首が典拠とした『後撰集』の歌はずいぶん洗練された感じがします。
 さて百人一首の歌を読む限り、天智天皇は農民思いの名君のように思われます。かりほの庵とは刈った稲を一時保管しておく、仮説小屋のことで(つまり「刈り」と「仮」の掛詞)、農作業中の一こまを歌ったことになります。農繁期は家に帰らず田の近くで寝泊りすることもあったのかも知れません。仮説小屋の中で夜露に袖を濡らす農夫の寂寥感が漂う歌です。天皇は下々の暮らしを思いやってこの歌を作ったということになります。
 実際の天智天皇の人生を調べてみると、大化の改新以来、自らの敵となる存在を次々に抹殺してゆく野心家で、権謀術数をめぐらすなかなかの人物なのです。その弟、天武天皇もそうですが、古代史には数多くあった親族間の争いの勝者なのです。
 平安時代以降の人々にとって、天智天皇は今上天皇の直系の祖であり、過去の偉大な天子としての面影をもつ存在だったのでしょう。理想化された天皇の姿なのです。

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