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2008年3月30日 (日)

値上げと値下げ

 4月から電気、ガスなどの生活必需品の中で値上げが発表されているものがあります。原油価格の高騰や昨今の経済情勢がその背景にあります。
 一方、携帯電話は各社とも家族間通話を条件付きで無料としてシェア争いに拍車をかけます。
 またガソリンがいわゆる暫定税率の期限切れを見込んで値下げされそうです。油のために値上がりが起きるのに、ややこしい話です。税率の論議は未解決です。このあたりははっきりさせてほしいところです。
 そして一番深刻なのが年金支給額の値下げです。今後もこの傾向は進行するでしょうから、生活の工夫がより一層求められることになります。
 とにかく値上げと値下げとが一度に起こる4月、現代の経済はとても複雑です。勉強が必要なようです。

2008年3月29日 (土)

新東京タワーの名称は

 2011年に完成予定の新東京タワーの名称が検討されています。すでに東京EDOタワー、東京スカイツリー、みらいタワー、ゆめみやぐら、ライジングイーストタワー、ライジングタワーの6候補に絞られており、投票と有識者の判断で決定されるらしいです。
 新しい名前は定着するまでは奇異な感じがするものです。中にはE電などのように消えてしまったものもあります。新東京タワーの場合はこの「新東京」という響きが親しみやすいので、あまりいいにくい名前をつけると使われなくなる可能性があります。
 そもそも地上デジタル放送のためにこのような高いタワーを建てることに私は疑問を感じます。事故の危険性やメンテナンスの問題など大丈夫なのでしょうか。高いタワーを作るより、地上の中継施設を充実させる方が結果的に安上がりにならないのでしょうか。
 きっと専門家の研究の成果による判断だと思います。私の考えは杞憂にすぎないのでしょう。ただ結局、虚塔にならないようにしていただきたいと思います。

2008年3月28日 (金)

許せない無差別殺人

 このところ無差別殺人事件が連続しています。土浦市の事件でも岡山駅の突き落とし事件でも犯人は殺すのは誰でもよかったと供述しているといいます。どうしてそんなことをするのか私にはまったく理解できません。
 本人のもって生まれた残忍さはもちろん関係があるはずです。でも、多くの人は同じような要因を抱えながら、実際に犯行には到りません。やはり後天的な原因が重なって暴挙に走るのでしょう。
 後天的な要因としては、家庭環境、教育、地域の生活環境など様々なものがあります。犯罪は許しがたい事実ですが、それを生み出す土壌があるならば、他人事で済ませられません。
 頻発する凶悪犯罪の原因は皆さんで考えなければなりません。

2008年3月27日 (木)

上野公園桜見頃

上野公園桜見頃
 上野の美術館に行って来ました。途中上野公園の桜がほぼ満開でした。平日にもかかわらずかなりの人出がありました。花見の宴をする人、その席とりをする人も数多く見られました。この週末には満開となり、さらに大勢の花見客が訪れるでしょう。

2008年3月25日 (火)

新聞の文字が大きくなる

 31日から朝日新聞、読売新聞が活字を大きくして紙面を一新します。ご年配の方々にも読みやすくなるはずです。確実に進行している高齢化社会に対応するものといえるでしょう。
 ただ私は少々うがった見方もしています。新聞を読む人の数は減っていると思います。購読者の推移は調べていないのでわかりません。買っても読んでいない人が多いと思うのです。最近のニュースの読み方はインターネットによるものもあります。携帯電話に配信されるニュースは私もよく利用しています。待ち受け画面に自動的にテロップが流れるのです。
 インターネットで配信されるニュースの特徴は文章が短いことです。表示画面の大きさの制約を受けるからでしょうか。簡潔なのは本紙を買わせる目的もあるはずです。しかし、こうした記事に慣れてくると、印刷された長い文章を読むのが逆に面倒になります。
 文字を大きくすれば記事の文字数が減り、必然的に簡潔な記述が求められるのです。
 じっくりと文章を読む時間と心の余裕がなく、基本的な読解力も低下したことが活字の大型化の隠された要因ではないでしょうか。今度の紙面改革で記事の文章まで大味にならないことを切望します。

2008年3月24日 (月)

原子力発電を考える

 読売新聞が本日配信した「原子力白書 今こそ強いメッセージを」をという記事は地球温暖化対策として原子力発電の重要性をもっとアピールするべきであるという内容でした。二酸化炭素排出量が他の発電方法に比べて極めて少なく、発電量も大きいため即効性のある温暖化対策にもっとも効果的だというのです。世界でも原発への認識が変わりつつあり、かつては国民投票で否決された原発建設を肯定する国家が増えてきているといいます。原子力は温暖化への救世主なのでしょうか。
 日本人が原子力から連想するのは第一に原子爆弾であり、第5福竜丸の水爆の被曝、チェルノブイリ事故のような災害の歴史です。また最近では中越沖地震の際の柏崎刈羽原子力発電所の火災や微量の放射能漏れ事故などが記憶に新しいものです。原子力は恐ろしいものという認識がどうしても先行します。そうした一種のアレルギーが日本のエネルギー政策を曖昧なものにしているのです。
 私たちが原発を容認するためにはさまざまな疑問に答えてもらわなくてはなりません。たとえば、地震の多い我が国にとって、原発は安全なのか。また大都市向けの発電所をどうして地方に設置するのか。安全が保障されているならば、極端に言えば都内に原発があってもおかしくないことになります。火力発電所と同レベルで原発を置けなければ安全とはいえません。さらに使用済み核燃料の最終処理に関する疑問もまだ解決されていません。
 温暖化対策のため化石燃料から脱却は急務です。ただ原子力がその代替をすることにはまだまだ疑問があるのです。かといって太陽光や風力などの自然エネルギーの利用は、その発電量の点でかなり見劣りがします。さらなるアイディアを出してゆかねばならないでしょう。
 極論をすれば、自分の使う電気は自分で作らなくてはならない時代が来る日も近いかも知れません。私たちはエネルギー問題にもっと注目すべきでしょう。残された時間は限られています。この方面の人材の育成、援助を急ぐべきです。

2008年3月22日 (土)

男性専用車

 痴漢は許しがたい犯罪です。でもそれ以上に許しがたいのは無実の人が犯人にされてしまうことです。痴漢はその罪の軽重とは別な次元で社会的な制裁を受けることが多く、しかも被害者の証言以外に犯行の有無を立証する決め手がないので、冤罪になる可能性が高いわけです。
 都市部では通勤時間帯に女性専用車を設ける路線が増えています。痴漢の自己防衛にはいい方法です。最近、男性専用車も作ってほしいという声も出ているようです。痴漢の冤罪はあまりにも高いリスクですから。私は立って電車に乗る時には必ず両手を上げた形にしています。片手に文庫本、片手は吊革という具合に。
 人を疑わずにいられないという現実は悲しいものです。痴漢は止めてください。無実の人を痴漢犯に陥れるのも止めてください。満員電車にならない町作りをしてください。

2008年3月21日 (金)

パ・リーグは地域密着で成功するか?

 昨日プロ野球パシフィック・リーグが開幕しました。開幕戦は3戦ともすばらしい試合でした。パ・リーグは西武が埼玉西武ライオンズと改名し、オリックス・バファローズをのぞく5球団が地域名をチームに入れることになりました。北海道日本ハムファイターズの成功後、地域名を入れ地元の支援を受けることの大切さが認識されるようになったのです。セ・リーグも広島、横浜、東京ヤクルトが地域名が入っています。阪神や中日は企業名ですがその起源が地域名なのでこれに準じるともいえます。読売ジャイアンツはせっかく名乗っていた東京をはずし時代に逆行してしまいました。かつての人気に依存した「浮動票」のファンが多い球団で満足していいのでしょうか。
 企業の広告塔としての球団というやり方に限界が見えている昨今、チーム名だけではなく興行方法を含めて地域密着型への転換が至急の命題でしょう。これは野球のみならず、他のプロスポーツに共通することだと思います。かつては人気のセ、実力のパといわれ、ロッテの番記者になると左遷されたかのように感じられていた時代もありました。地元に愛される球団への転換を進めてきたパ・リーグの球団はかつての危機を脱したようです。千葉マリンスタジアムの怒涛の応援は球界の宝といえるでしょう。黒字経営になるまでにはまだまだ工夫が必要ですが、経営陣には球団が独立採算できるようにさらなる努力を続けてほしいと思います。

2008年3月20日 (木)

エコ運転

 JAF Mateという日本自動車連盟の機関誌にエコ運転術という記事が連載されています。地球温暖化に関する京都議定書が実効されたことや、原油高が続く中で少しでもガソリンの消費を減らすことは切実な問題といえます。
 4月号ではアクセルの踏み方を軽くして無駄な加速をしないこと、速度を一定に保つこと、早めに停止位置を予測してブレーキを踏まずに減速できるようにすること、停車時間が長い場合はエンジンを切ることの4点があげられています。これらを実行するためには十分な車間距離が必要です。エコ運転は安全運転と直結するわけです。前を走る車にぴったりと追走する人がいますが、そのようにされてしまうとエコ運転は難しいことになります。
 ハイブリッドエンジンや電気自動車など新技術が普及するまで、せめていまできることはやるべきでしょう。

2008年3月19日 (水)

卵と兎

卵と兎 

私の最寄り駅の商店街に卵とウサギのデコレーションが飾られています。どうやらイースターにちなむものらしいのです。イースターは復活祭ともいい、イエス・キリストの復活を祝う祭りです。この祭日は年によって移動します。それは「復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決められているからです。今年の場合は3月23日です。話は単純ではありません。これはグレゴリオ暦を用いるローマを中心とする西方教会の規定であり、ギリシャ正教と呼ばれる東方教会では現在ではあまり使われないユリウス暦を基準にするため同じ規定を使っても4月27日が復活祭ということになります。
 さて、この復活祭に卵とウサギが関係するのは、いずれも生産・多産のシンボルであるからのようです。つまりこれはキリストの復活とはもともと無関係だったものが、習合したものと考えられています。わが国にも春先にはさまざまな生産儀礼があり、中には一見きわどい性的行為を再現するものもあります。民俗学では人間にとっての生産の様を見せることによって、穀物の霊魂を刺激し、豊作に導くものと解釈されています。
 ヨーロッパにも同様の考え方があったと考えられます。おそらくキリスト教以前の習俗が形を変えて今に伝えられたものと考えられます。そういえばバレンタインやクリスマスにもそういった要素がありました。
 キリスト教の祭礼はわが国にもいろいろと形を変えながらも受容されていますが、イースターに関してはさほどではありません。日付が一定しないことに加え、この祭事の意味が周知されていないことに原因があるのでしょう。

2008年3月18日 (火)

チベット暴動

 14日、中国のチベット自治区のラサで発生した暴動は、その死者が80人に及ぶとの報道がなされています。中国政府側の発表では死者13名、警官の重軽傷者61名ということです。真相はいまだ不明というしかありません。報道されている映像はチベット人が暴動を起こして漢人資本の商店の破壊している場面や、自動車等への放火のシーンです。16日には四川省でも暴動が発生し、一部の報道では15人が死亡したとされています。
 チベット民族の指導者ダライ・ラマ14世はインドのダラムサラに亡命政府を持っており、世界に対して一定の発言権を持っています。被害者の数が多めなのは、亡命政府側の発表です。対立する側で報道内容が変わるのは当然であり、まして言論統制が厳しい中国の現状を考えるならば、暴動の規模は不明というしかありません。
 天安門事件以来、中国の外交上の大きな障害に人権問題がありました。著しい経済発展の中で、それは影を薄めたかに思えたのですが、ここに来て衆目を集める事件が起きてしまいました。多くの人口をかかえ、数多くの少数民族と自治区をかかえる中国にとって、自由と平等は容易に達成できるものではないのかも知れません。
 北京オリンピックを目前にして、中国はあまりにも多くの国際問題をかかえています。今後の動向に目が離せなくなってきました。

2008年3月17日 (月)

魂の形―ライラの冒険

 映画「ライラの冒険」を観ました。ファンタジーなのでこどもばかりかと思いましたが、私たち夫婦が観た回は大人ばかり、若いカップルもいましたが年配も多かったと思います。ロード・オブ・ザ・リングやハリーポッターシリーズ、ナルニア国物語など数多くのファンタジーが公開されていますが、この映画もそれらと同じように最新の特撮技術を駆使した作品でした。パラレルワールドというこの映画独特の世界観は、原作を読んでいないと(私もですが)少々理解が難しいと感じました。
 さて、この映画の特徴は主人公ライラの住む世界では魂が自分の外部にあり、それが動物の形で現れるという設定にあります。それをダイモンといいます。ダイモンはヒョウであったり、サルであったり、狼であったり、あるいは蟷螂などの虫であったりします。人間だけがダイモンを持ち、他の動物にはいないのです。また子供ころはダイモンの形が不安定で、色々な動物に変化しますが、大人になるとその人の性格によって一つの動物になるといいます。これは魂のあり方を示すものです。
 私たちの大問題として、魂が存在するか否かという問題があります。魂は肉体のどこにあるのか、肉体が滅びても魂は存在するのか、それがとても大きな問題といえます。この映画では魂を外在する可視的な動物とし、生命の断絶とともに一瞬にして消え去るという形で表現しています。もちろんそれがファンタジーたるゆえんなのですが、魂のあり方を考えるいいきっかけになりました。
 さて、映画の原作は3部作です。今回の「黄金の羅針盤」も未完で多くの伏線を残したままエンドロールがながれます。続編にも期待しましょう。

2008年3月15日 (土)

思えばいとしい?

 卒業のシーズンです。私の職場でも今日は卒業式でした。卒業式といえば「仰げば尊し」と「蛍の光」が歌われます。どちらもスコットランド民謡といわれていますが、「仰げば尊し」の方は伊沢修二の作ではないかといわれているようです。「蛍の光」は正真正銘のスコットランド民謡で'Auld Lang Syne'(Old Long Since)が原題です。原詩はロバート・バーンズの作とされ、旧友との別れに臨み酒を汲み交わそうというものです。
 さて、この2曲とも今歌われている日本語の歌詞は文語体です。小学生でも歌える歌詞でも、その意味はというととたんに怪しくなるようです。かくいう私も「仰げば尊し」の、

 思えばいととしこの年月

を「今思えば愛しく思うこの歳月を」の意味で解釈していました。「いと」は非常に、「とし」は速いという意味だと古文で習っても、これと結びつくまでにはかなりの時間が要りました。「蛍の光」も

 いつしか年もすぎの戸を

の部分がどうしても分からなくて「トシモスギ」なるものがあると考えていたことを白状します。
 なお、「仰げば尊し」の2番、「蛍の光」の3、4番が戦時中の考え方に基づいたものであるということで省略されていることもこの際、思い出しておこうと思います。「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」くらいならいいと思いますが。
 さて、この3月、卒業を迎える皆さん。おめでとうございます。すっきり意味を理解して「蛍の光」を歌ってお送りしたいと思います。

2008年3月14日 (金)

円高えーんだか

 一時的ですが1ドルが100円を割ったことが報じられました。アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発したアメリカ経済への不安感が世界経済の多方面に影響しています。一般に円高は輸入に有利ですが、輸出には不利と考えられています。海外旅行に行ったとき、両替額が多くなって嬉しいという話があります。
 ただ、輸出を中心に行う企業にとっては深刻な打撃となり、これが株式全体に影響をあたるので、日本経済の停滞につながることが懸念されます。国内で生産するとコストがかかるため、生産工場を海外に移す企業も現れますので、長期的にみると国内の産業構造の空洞化を招くことになりそうです。
 昔、牧伸二のウクレレ漫談に「円高で得する人がいる、円高で損する人もいる、えーんだか悪いんだか、どーなんだか」というネタがありました。どうも極端な円高はよろしくないというのが真実のようです。

2008年3月13日 (木)

バター不足が警告するもの

 朝日新聞によると国内で流通するバターが不足しつつあるということです。原因はかつて牛乳が過剰生産気味だったため2006年度から減産されたのに加え、高値で取引される飲用やチーズ用が優先されるため、バターの原料としての牛乳が足りないのです。加えて海外では新興国の需要が増えたことや、家畜飼料価格の上昇、豪州の旱魃などの悪因が重なり、価格が高騰してしまったのです。国内の小売店では品薄や売り切れが相次いでいるといいます。
 さて、中国の食品汚染疑惑や食肉の伝染病感染など食の安全性に関する不安が頻出しているのと、気候変動による穀物の不作など、食糧の確保に関する不安は尽きません。わが国の食糧自給率は2002年で40%に過ぎず、年々低下の傾向にあります。同年のアメリカの自給率は119%、山岳国スイスでも54%あります。日本の食糧政策がいかに脆弱かということを痛感します。
 かつて日本の農業に関する討論会がテレビで行われていた時、農家が税制上優遇されているとか、国産品保護のためという名目で高い農作物を消費者が買うのはおかしいという声が多数ありました。確かにそのとおりなのですが、このまま日本の農業をないがしろにしていくとどうなるか不安です。いくら金を積んでも食糧を売ってくれない時代が来るかもしれません。そもそも日本はすでに経済大国ではなくなりつつあるのですから。
 われわれは少しずつ高い買い物をしなければならなくなりそうです。自分の食べ物は自分で作るという切り替えを急がなくてはなりません。バターがなくても我慢ができるかもしれませんが、次は我慢できないものかもしれません

2008年3月12日 (水)

マクドナルドのコーヒーはおいしいか

 味は人によって好みがあり、コーヒーのような嗜好品はなおさらです。マクドナルドのコーヒーは最近アメリカで好調らしく、売上高を伸ばしています。いつのことであったか忘れましたが、米国内での目隠し調査でもマクドナルドのコーヒーが、他のコーヒー専門店の商品よりも人気が高かったという結果が報じられていました。市場調査ではどうしても数値として表現されます。味を数値に直すことはできません。皆さんはどのように思われますか。

2008年3月11日 (火)

如意の渡りの弁慶・義経―私の古典文学散歩(3)

 歌舞伎の「勧進帳」は歌舞伎十八番の一つ。市川海老蔵・団十郎のお家芸として江戸時代から今に伝えられているものです。初演は天保11年(1840)です。これは源頼朝に追われて諸国を敗走する義経一行が加賀の安宅の関(現在の小松市)まで来たとき、関守の富樫左衛門に見咎められるのですが、それを弁慶が機転をきかせて関を突破するという話です。弁慶は自分らを消失した東大寺再建のために勧進の旅を行っている山伏となのります。富樫はそれならば勧進帳を読んでみよと命じるのですが、弁慶は手持ちの巻物をそれらしくしかも朗々と読み上げ、何とか関所を切り抜けようとします。ようやく成功したと思われたのですが、義経の正体がその風貌から見破られそうになります。窮地を迎えた弁慶は主人の義経を打ち据え、疑いを晴らすという内容です。歌舞伎ではそのディフォルメされたメイクや、飛び六方などの奇抜な演出が印象的です。
 この勧進帳は能の「安宅」を歌舞伎にしたものであり、室町時代の成立です。「安宅」では富樫の影が薄く、弁慶の機転が中心的な趣向になっています。歌舞伎「勧進帳」の富樫が単なる悪役から、義経であることを知っていながら人情から見逃すという好人物に変容するのも印象的です。
 さて、この話は中世に生まれた「義経記」にも描かれています。義経はその実人物の死後、かなり早い時点から伝説化され、尾ひれがついて語られた人物ですが、「義経記」は中世における義経伝説の集大成といった感があります。
 この「義経記」では、義経を打ちのめす場所は安宅ではなく、如意の渡りという場所になります。ここは現在、富山県高岡市伏木のことだと考えられ、現在でもその名の地名があり、渡し舟があります。さて、「義経記」では、次のような話になっています。

 義経一行が如意の渡りに着き、渡船を出してくれるように申し出ます。すると渡し守の平権守は、越中の守護から山伏が多数で来たならば報告するようにいわれているといって、船を出そうとしません。弁慶は私は有名な羽黒の讃岐坊だ、それを知らないのか。というとああ、知っていると言い出すものがいる。そこでそれなら渡してやろうということになります。
 ここからがユニークです。弁慶はこの中に義経と思われる者がいるか、そう思う者をあげて欲しいと申し出ます。すると当然言い当てられます。弁慶は憤怒の表情を浮かべて、「あれは加賀の白山から連れて来たものだ。あいつは所々で、人に怪しまれてしょうがない」と言って、浜辺に投げ捨て、扇でさんざんに打つことになります。そこで疑いを晴らし、船に乗り込みます。弁慶は船賃をただにする交渉にも成功し、渡河に成功するという話です。

 ここには勧進帳のエピソードがまったくありません。義経を打ち据えるきっかけにも違いがあります。「義経記」はストーリー上不完全な部分があり、矛盾や飛躍が多く見られます。ただ、それゆえに中世の義経伝説のあり方を考える上での重要な資料になっています。

2008年3月10日 (月)

東京大空襲

 3月10日は東京大空襲のあった日です。東京都では「東京都平和の日」として追悼行事が行われます。1945年3月10日の深夜0時過ぎから東京の下町地域を中心にアメリカ軍のB-29の編隊によって爆撃されました。木造家屋の破壊を目的とした約38万発もの焼夷弾攻撃によって大火災が発生し、民間人を多数含む人命が犠牲になりました。現在、都立横綱町公園内にある「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」に収められている犠牲者名簿には平成19年3月現在78,097人のお名前が登録されているとのことです(WEB広報東京都平成20年3月号による)。実際には10万人を越える犠牲者がいたようです。東京への空襲はこの時だけではなく、何度か行われ、4月4日には立川が、5月25日には山の手地域が、8月2日には八王子が空襲を受けています。
 交戦中の敵国に対する爆撃とはいえ、非戦闘員を明らかに狙った非人道的な攻撃であったと言わざるを得ません。戦争は理不尽な現実を突きつけます。わが国が他国民に対して行った残虐な行為を忘れてはなりませんが、わが国もまた戦争のために多くの犠牲を出したことを忘れてはなりません。
 今日が空襲のあった日であることを知っている人は多くありません。私も資料をみているだけで、実感はありません。平和を守ることは言うのは簡単ですが、難しいもの。ホロコーストのあった街に住んでいながら、そのことをまだ100年経っていないのに忘れてしまうのですから。この際、改めて平和の意味を考え直してみたいと思います。

2008年3月 8日 (土)

ホワイトデーのその後は

 バレンタインが終わったあと、街のデコレーションはホワイトデー用に切り替わりました。ホワイトデーなるものは、1980年に全国飴菓子工業協同組合がキャンデーの販促のためにあみだしたものだったようです(同組合のホームページによる)。
 ホワイトデーの元になる習慣は欧米の「フラワーデー」「ポピーデー」にあるともいわれていますが、これは恋人同士が贈り物をする日というだけで、お返しの意味はないようです。おそらく春の生産儀礼の一部が変化したものと想像します。
 日本の業界が定期的な販促を成功させたのは、まさに土用の鰻式のアイデアだったと思われます。毎年、決まった需要が期待できますから。
 韓国では4月14日にブラックデーがあります。これは恋人のいない者同士、2月と3月の14日に縁がなかったものが集まってチャジャンミョン(ジャージャー麺)を食べる日だそうです。さらに5月14日をイエローデーといって、この日は4月にも縁がなかった者がカレーを食べる日だということです。韓国人は恋愛に関心が強く、かつ洒落好きのようです。
 なお日本でも愛媛県の農家が販促用に4月14日をオレンジデーと称しているようです。さて、定着しますかね。

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2008年3月 7日 (金)

マスクの効果

 花粉症の季節に入り、街頭ではマスクをつけた人が増えてきました。ここ数年、マスクをつける人は年間を通して増えているようです。かつて風邪ひきがするものであったものが、ウイルスやアレルギー物質から身をまもる予防的な道具として認識する人が増えたことを意味します。
 昨年末から今まで、インフルエンザの大流行はありませんでした。当初は最近見られないウイルスの蔓延が予想されていたのですが、幸いなことにあたりませんでした。これもマスクをつける習慣が定着したことが予防と、流行防止に役立ったという説があります。
 マスクが後ろめたいものと考えられなくなったのは、新型インフルエンザの脅威が喧伝されたことにも起因しているかもしれません。マスクをつけることは高い衛生観念をもっている証として認識できるからです。
 今年はスギ花粉の飛散量が多いとされていますので、しばらくは人々はマスクをはずすことはできないのかもしれません。私も今日は点眼、点鼻の薬を繰り返し使っています。
 もし、数年日本を留守にしていた人が、いまのマスク族の群像をみたならばなんと思うでしょうか。疫病の大流行があったのかとか、大気汚染で住みにくい国になったと思うかもしれません。マスクをつけずにすごせる日が来るといいのですが。

2008年3月 6日 (木)

イージーフォールド

 花粉症の季節、欠かせないのがティッシュです。使い終わったティッシュの箱の裏を見て思わぬ発見をしました。ちなみに私が見たのは日本製紙クレシア株式会社のクリネックス ハイクオリティフェイシャルティシューです。同社の製品はティッシュではなく、英語のtissues に近いティシューという名をつけているようです。さてその箱の裏に「ワンプッシュで折りたためるイージーフォールドです。どうぞご利用ください。」と書いてあり、使用後の箱のつぶし方が書いてあります。箱の両端に箱を分解するための切込みがあり、その真ん中を指で押せば簡単に箱をつぶすことができるというのです。すでにお試しの方も多いのではないでしょうか。イージーフォールドとはおそらく“easy fold”のことでしょう。fold[fould]には畳むとか挟むという意味があります。コンピューターをお使いの方なら誰でも知っているフォルダーはfolder(実はフォウルダーだった)はこの動詞の派生語です。紙挟みのことを意味するようです。
 つまりイージーフォールドとは畳みやすいということです。ちなみにeasy-foldを検索すると、紙ホルダーや、押入れの整理用の紙の仕切り、折りたたみ式のパソコン台、組み立て式の衣紋掛け、リモコンで動く車のシートなどがありました。英語圏ではよく使われていることばのようです。
 さてティッシュの件ですが、生産者が製品の使用後にまで配慮しようという考え方には好感を持ちます。わざわざカタカナ英語にしなければならないことには疑問を持ちますが。できれば、再利用できる紙の箱とか、別のものに利用できるものとかを考えていただくともっといいかもしれません。ちなみにティッシュボックスの中には、ポケットティッシュの収納箱としてちょうどよいサイズのものもあります(スリムサイズでないものがよいようです)。箱の短辺の方を小さく切り取ると、ポケットティッシュが使う順に取り出せるものとしても使えます。

2008年3月 5日 (水)

だまし討ちは許される? 古事記の英雄たち―私の古典文学散歩(2)

 古事記は日本書紀とともに神話と呼ばれる作品です。神話はファンタジーとは異なり、あくまでそこに述べられていることは真実であり、現在のさまざまな事実の理由説明になる規範であったと考えられます。
 古事記を読んでいて少々気になることがあります。それはだまし討ちをして敵を倒すことが繰り返し出てくることです。私たちは汚い勝ち方をすることには抵抗感があります。正々堂々と技や力で相手を圧倒することこそ、勝利の美学のように感じている方が多いでしょう。
 ところがどうでしょう、スサノオはヤマタノオロチを酩酊させて切り殺します。これはまだ許せるにしても神武天皇は遠征中に出会った異民族ヤソタケルを宴会に招待し、歌を合図に軍勢に攻撃させ一網打尽にします。ヤマトタケルは女装してクマソに近づき、出雲では友人になったふりをして相手を油断させて土豪を斬り殺します。応神天皇は即位前に、大山守命をおとりにおびき寄せ謀殺しています。反正天皇は、即位前にライバル墨江中王を倒すために、その舎人(従者)のソバカリに内応します。そして墨江中王を殺害させたあとにこのソバカリを宴会に招き、大杯に視界がさえぎられているころあいを計って斬首しています。
 このように、いわゆるだまし討ちが繰り返し述べられており、それに対して何の弁明もないことに私は非常に不思議に思います。もちろん現在とは倫理観が違うということが、簡単な説明でしょう。むしろ、謀略ができることが英雄の証だったともいえます。
 でも私はこうも考えるのです。きわめて史的信憑性が高いと考えられる天皇の時代以降も謀略は繰り返し語られます。こうした卑怯な方法は非難の対象にもなりかねません。しかし、神話をもってこうしたことは神代からあったことであり、英雄の条件だと語ることによって現在の為政者の一見無道と思われる方法も正当化されると考えたのではないでしょうか。神話は現在の規範と述べましたが、その意味で古事記は荒唐無稽の物語ではなく、きちんと政治的機能を持った聖典ということになります。

2008年3月 4日 (火)

いつか眠りにつく前に

 先日、妻の推薦で、「いつか眠りにつく前に」(原題Evening)という映画を夫婦で観て来ました。ヴァネッサ・レッドグレイヴとメリル・ストリープという大女優とその実の娘が競演していることや、主人公アンのクレア・ディケンズの演技が光っていた感動作でした。
 アンは死を間際にして過去の過ちを思い出します。それは親友の結婚式でであったハリスという男とのつかの間の恋です。ただその思い出には、彼女を思いながら、その愛が受けれいれられず思い悩むバディという親友の弟の死という悲しい思い出がぴったりと張り付いているのです。
 臨終に何を思うか。それがこの映画のテーマです。人生にはその多くを占める日常と、一瞬のきらめきを放つ非日常があって、場合によってはその非日常の方が心の奥で意味をなしていることがあるようです。かつて「マディソン郡の橋」という映画でも同じようなテーマが取り上げられていました。
 あまり話題にはならなかったようですが、お勧めの映画の一つです。

2008年3月 3日 (月)

マイはし

 環境問題の改善に少しでも参加しようということで、最近は割り箸をもらうことを極力避けています。そのかわりプラスティック製の箸をケースに入れて持ち歩いているのです。さすがに休日家族とレストランに行くときにはまだやったことはありません。それも実践している人がいると聞いたことがあります。たいてい店の方で断られることはないということです。
 もっとも割り箸そのものは間伐材を用いており、資源の浪費ではないようです。ただ、使用後にそれを焼却するには温暖化ガスを発生する必要があるわけですので、やはり使わないに越したことはありません。そこでやはりマイはしを使う意味があるというわけです。
 こういう考え方をする人が増えてきたのでしょうか。ホームセンターなどでは携帯用の箸が売られています。これは2分の1の長さでできており、使う時に接いで使うことになります。なかなかいいアイディアです。身近なところからできる環境問題対策は、周囲の方々の関心を喚起する役目も果たしそうです。

2008年3月 2日 (日)

Vista値下げ

 マイクロソフトは最新OSソフトのウィンドウズ・ビスタの値下げを発表しました。このソフトの売り上げが伸び悩んでいることが原因のようです。このブログへのアクセスを解析してもビスタによるものは1割に達していません。XPが7割弱を占め、他を圧倒しています。ちなみに2000やMeのユーザーにも多数ご覧頂いただいています。MacやLinux系の方もいらっしゃいます。
 かつて新しい基本ソフトが発売されると、我先にバージョンアップしたものです。パソコンの買い替えのきっかけにもなっていました。新聞に折り込まれている電機店のチラシを見る限り、発売中のパソコンの大半はビスタを搭載しています。ということはパソコン本体も売れていないことになります。
 ビスタの値下げがどういう影響を及ぼすのか。注目していきたいと思います。

2008年3月 1日 (土)

ブログは路上パフォーマンス

 ロス疑惑の三浦和義氏が逮捕されたきっかけは、自身のブログの中で旅行計画を書いていたことだという報道がありました。本人にとっては晴天の霹靂であったに違いありませんが、自ら原因を作っていたのです。
 ブログは個人の日記のような形をしていますが、実は公然と開かれた掲示板です。見方を変えれば、駅前のストリートパフォーマンスと同じ。観客は不特定多数です。
 こんなことはわかっているはずなのに、繰り返される過ち、悲劇。気をつけなくてはなりません。

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