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2011年2月23日 (水)

「じゃないですか」の甘い罠

 「~じゃないですか」という言い方はすっかり定着している。文法的には何の問題もないのだが、その使い方に関してはかなり特徴がある。話者は予め確信している意見があるが、それをそのまま言わず相手に一度確認させるという段階を踏むのである。
 「あさって会議があるじゃないですか。それって準備が大切じゃないですか。あなたと私が担当じゃないですか。そろそろ資料を作っておかないといけないじゃないですか」
 ここまでのことはないが、要するに自分の意見を朧化する気持ちが根底にはあるような気がする。しかし、これも繰り返されているうちにさまざまな用法が生まれている気がする。
 一つには、自分の意見に対する自信のなさを表現する方法であるということだ。相手に伝える準備ができていない、いわば草稿段階の意見を相手にぶつける際に「じゃないですか」はとても便利だ。断定していないわけであるので、かりに相手から間違いを指摘されてもうけながす余裕がある。最初から逃げを含んだ意見表明といえるのだ。ある意味これはツイートのような独りよがりの表現である。
 また別の見方をすれば、これは一種の先制攻撃的な論法ともいえるだろう。「じゃないですか」は本来、相手が同意することを前提に話されており、反論を想定していないことのほうが多い。このくらいは理解していますよね、このくらいのことは察してくれますよねといった最初から相手の反応をある程度決めてかかった表現なのである。
 この表現の不思議なのはあまり抵抗感がなく自分の表現法に入り込んできて、いつの間に使ってしまうということであろう。
 「私って、きれい好きじゃないですか」
 とほとんど初対面の相手から言われると非常な違和感を覚えるが、
 「日本人って几帳面じゃないですか」
 になると、なぜかすんなりと入ってしまう。自分の意見を自信なげに、しかも反論をたくみに避けて話す表現だ。私は時々自分でもそれをつかってしまった後で、そこはかとない違和感を感じるのである。

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