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2010年5月19日 (水)

無人島に持って行くもの

 総合学習の授業でゲーム形式の研修をやってみました。無人島に持って行くものは何かを考えさせるものです。クラスの中学生諸君はなんと答えたと思いますか。
 このゲームの真意は各自が大切に思っているのは何かを考えさせ、それがみなそれぞれ違うということを確認させることにありました。だから、サバイバルには何が必要かという現実的な要因は敢えて考えないように誘導しました。ものだけではなく人でもいいかと質問されたのでそれもいいことにしました。
 最初に個人の考えを書かせ、次にグループで話し合わせ、代表に発表させました。
 各グループから出たのは衣類やナイフや鍋などの当然あげられるもののほかに携帯電話やiPodなどいかにも現代の子どもらしいものがありました。しかし、家族を連れてくるというグループもあったには、なぜか安堵してしまいました。

2009年10月 6日 (火)

先生が信用できない

 横浜市教育委員会は市立の各学校の教員に、ライフスタイルチェックシートを配布することに決めたようです。これは教員の生活習慣に関する質問項目を各自で記入し、校長に提出するものだといいます。
 新聞が報じているようにこの背景には横浜市の教員の不祥事が相次いだことがあります。質問項目の中には飲酒、借金、賭け事などの項目があるそうです。それぞれの事項は教員としてまったくやっては(あっては)ならないこととまではいえません。一歩間違えば行き過ぎた管理につながり、教員間の信頼関係にも影響を与える調査だと思います。

 実は私も教員であり、その私生活に関しては甘めの自己採点でも決して合格点はつけられません。ただ、職務中の職業意識に関しては人並み以上のものがあると信じています。どんな職業にも共通することですが、プライドが辛い局面を切り開く原動力になるものであり、それを崩されると前に進めなくなるでしょう。

 教員に対する信用が地に落ちた以上、ある程度の調査は甘んじて受けなくてはならないかもしれません。ただ、ほんの一部の失格者のために、日々教育の現場で研鑽している教員たちのプライドを傷つけることだけは避けてほしいと思います。
 もちろん、教員もこうした事態を招いている現実を知り、自らの処し方を考えるべきでしょう。

2009年2月27日 (金)

不安の時代か乙女心か

 中学1年生の国語の授業で、ある絵を物語の一場面と考えて文章を書くという課題を出しました。多くの生徒は童話のようなタッチのさしさわりのないストーリーを書いたのですが、中には気になる内容もありました。40人中10名前後の生徒が死や病をテーマにしていたのです。文章中で登場人物が殺害されるものや、死後霊となった主人公が生前の出来事を語るというものもありました。また重病に苦しむというストーリーも印象的でした。
 これは最近のドラマや漫画の影響、あるいは思春期独特の不安心理の表れと考えることもできますが、どこかに昨今の社会不安の反映のような気がしてなりません。繰り返される凶悪犯罪、自殺、経済的な諸問題など生徒を取り巻く環境がこのような話を書かせるのではないかと思うのです。
 さて私ならどう書くか。例えばこのブログの中でとりあげている話題などは実は私の今の心の状態を映し出しているともいえるようです。

2009年1月15日 (木)

世界がもし42人だったら

 勤務校で総合的な学習として「国際理解」教育をとりあげています。今日はいわゆる開発教育の一環として「世界がもし42人だったら」というゲームをやってみました。42人というのは私のクラスの在籍数です。もちろんこれは『世界がもし100人の村だったら』をもじったものです。生徒に世界の現状を身近に実感してもらうために生徒数を分母に計算しなおしました。
 63億人を42人であらわすのは所詮無理な話ですが、今回の目的は大まかな世界の情勢を知るための手段ですから、細かいことはこだわらないことにしました。ただし、授業の始めにこのことは断っておきました。
 まずワーク・シートを配り、人数比を予想して書いてもらいます。たとえば「もし世界が42人ならばアジアに住んでいる人は何人ですか」という具合です。生徒の予想は10~20人が大半でした。「大学教育を受けられる人は」に対しては10名前後を予想した生徒が多く、中には30名と予想した生徒もいました。勤務校の大学進学率はほぼ100パーセントですので無理もありません。
 この後、机を下げて生徒にカードを引かせます。カードには各問の答の要素が書かれています。たとえば、先ほどのアジア人の人数の正解は26人ですが、26人のカードにアジアと書いておくのです。そして問ごとに生徒を移動させてグループを作らせ、その割合を目で実感させました。アジア人が42名中26人にも及ぶというのはインパクトがあったようです。
 このほか世界の最富裕層は3人ですが、この人たちが世界の富の6割近くを独占しているという説明をすると、驚きの声が上りました。他にも大学に進学する人は42人を分母にすると1人に満たないという事実も衝撃だったようです。
 こうした事例は私の発案ではなくすでに関係の書籍も出ているようです。生徒に国際事情を手っ取り早く理解させるためには便利な方法です。国際理解教育の一環にいかがでしょうか。

2008年10月31日 (金)

海の国境線

 同僚の社会の先生から今授業で使っている地図帳をみせてもらいました。ヨーロッパ中央部という題の付いている地図をみると北海のうえに国境線が引かれています。かなりはっきりと書かれているのは海底油田の所属にも関係ありそうです。
 一方、東アジアのところをみるとロシアと日本の国境は日本海側には引かれていますが、宗谷海峡でその線は途切れてしまいます。日韓との国境は竹島の北に少しだけ引かれ、対馬海峡にも少しだけ直線で引かれています。日中の国境は東シナ海にはっきりと引かれ、尖閣諸島や与那国島が国境であることを示しています。また北方領土は日本に樺太南部はどちらでもないような線が引かれています。
 学校で使われている副教材としての地図帳には、日本の国家としての思惑を反映したものといえます。これを使った生徒は日本の範囲をまずはその枠組みで捉えることになるのでしょう。国境の考え方については国ごとにさまざまな意見があります。各国の学校で使う地図帳を集めてみたら、きっといろいろな発見があるのではないでしょうか。

2008年7月28日 (月)

教科書の厚さ

 ゆとり教育の反動か様々な教育上の改革があるようです。薄っぺらな教科書に対する反省も出てきたようで、報道ではページ数倍増などの見出しがついています。
 教員の立場から見ても一頃の教科書は薄い上に内容がなく、これでどうやって1年持たせるのかと心配になるほどでした。何かのマニュアルと見間違えたほどです。
 ページ数を増やすことには賛成ですが、その内容や体裁については工夫をしてほしいと思います。まったく使う可能性がない教材まで載せる必要はありません。教科書をいたずらに重くするだけでは、教科書自体を持ち歩かなくなります。こうすると紙資源の無駄遣いです。
 何でも乗せるのが良いのではなく、知識や情報の入り口としての役割を重視してほしいと思います。もっと知りたいのなら何をすべきか、どこに行けばより詳しい情報があるのかというレファレンス機能を重視してほしいと思います。教科書がもっと役に立つものになれば、一生捨てない本になるはずです。

2008年7月 7日 (月)

多読はいいらしい

 先日、日本語が実に堪能な外国人から、その日本語学習法について話を伺う機会がありました。彼によると、ひたすら日本語の文章を読むことが大切だということでした。その際、辞書を引くのは最低限にすること、多少分からなくてもあとでだんだん分かるようになると信じて読み進めることが大切だというのです。
 近年、英語の学習法の中でも多読、多聴がよいものとされているようです。考えてみれば、私たちが日本語を身につけるときに辞書は使いません。たくさんのインプットが重要というこの考え方はなかなか的を射ているようです。

2008年6月 5日 (木)

教師の失言

 藤沢の公立中学校の社会科の教諭が、授業中に同時多発テロはアメリカの自作自演であったと話したことが問題となり、PTAに謝罪するという事件になったそうです。この教諭は4つのクラスで同様の授業を繰り返したらしく、それが保護者の耳に入り、それを学校や市教委に抗議したことにより公になったのです。この事件から私はいくつかの問題を考えました。
 まず、教師の影響力はやはり大きいということです。今回は事実の認識に対するかなりユニークな見解であり、衝撃的な内容であったのですが、そうでなくても教師が学校で話すことは生徒に多大なる影響を及ぼすということを表わすものだと思うのです。まずはこのことを教員は再確認しなくてはなりません。
 問題の教諭はものの見方は多様であり、さまざまな説がありうるという例としてあげたと釈明しているようです。もしそうであれば、逆にこの教員の指導法は賞賛すべきでしょう。歴史の解釈をめぐって検定教科書のあり方が問題になる中で、教科書を鵜呑みしない精神を伝えたとするならば、それはいまの日本人にもっとも求められる力だと思うのです。
 ただ、それならば対立するさまざまな意見が存在することをしっかりと伝えておかなくてはなりません。今回「自作自演」説が問題となったのは、おそらく教員がこのことに力を入れて話したのでしょう。あるいはこれは推測ですが、一般的なイスラム側の報復説が間違いであると言ったのかもしれません。難しいことですが、生徒には批判的精神も教育しなければなりません。歴史の見方は一つではないというからには、教師の教えることも絶対ではないということです。それを徹底してからでないと奇説の披露は意味がありません。
 中等教育は知識の伝達のみならず、ものの考え方や、解決に至る能力を教えることを第一にしなくてはならない。そんなことを今回の事件から考えました。

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