おすすめの本

無料ブログはココログ

2011年2月23日 (水)

「じゃないですか」の甘い罠

 「~じゃないですか」という言い方はすっかり定着している。文法的には何の問題もないのだが、その使い方に関してはかなり特徴がある。話者は予め確信している意見があるが、それをそのまま言わず相手に一度確認させるという段階を踏むのである。
 「あさって会議があるじゃないですか。それって準備が大切じゃないですか。あなたと私が担当じゃないですか。そろそろ資料を作っておかないといけないじゃないですか」
 ここまでのことはないが、要するに自分の意見を朧化する気持ちが根底にはあるような気がする。しかし、これも繰り返されているうちにさまざまな用法が生まれている気がする。
 一つには、自分の意見に対する自信のなさを表現する方法であるということだ。相手に伝える準備ができていない、いわば草稿段階の意見を相手にぶつける際に「じゃないですか」はとても便利だ。断定していないわけであるので、かりに相手から間違いを指摘されてもうけながす余裕がある。最初から逃げを含んだ意見表明といえるのだ。ある意味これはツイートのような独りよがりの表現である。
 また別の見方をすれば、これは一種の先制攻撃的な論法ともいえるだろう。「じゃないですか」は本来、相手が同意することを前提に話されており、反論を想定していないことのほうが多い。このくらいは理解していますよね、このくらいのことは察してくれますよねといった最初から相手の反応をある程度決めてかかった表現なのである。
 この表現の不思議なのはあまり抵抗感がなく自分の表現法に入り込んできて、いつの間に使ってしまうということであろう。
 「私って、きれい好きじゃないですか」
 とほとんど初対面の相手から言われると非常な違和感を覚えるが、
 「日本人って几帳面じゃないですか」
 になると、なぜかすんなりと入ってしまう。自分の意見を自信なげに、しかも反論をたくみに避けて話す表現だ。私は時々自分でもそれをつかってしまった後で、そこはかとない違和感を感じるのである。

2008年5月21日 (水)

麦秋

 台風一過、今日は穏やかな一日になりそうです。読売新聞は朝刊の1面に二十四節気を掲載していますが、今日は小満だとか。麦秋のころという説明がありました。
 田植えのあと稲の苗が日々大きくなるなか、黄金色の一画が広がる光景は大変印象的です。かつて田園地帯に暮らしていた頃を懐かしく思い出すのです。
 都会の通勤電車の窓に広がる麦秋を幻想することがあります。すぐに満員の乗客たちが目覚めさせてくれるのですが。

2008年4月15日 (火)

デビューしましょう

 それまでは目立たなかった人が、環境が変わったことをきっかけにして急に積極的になり、そのために脚光を浴びるようになることを○○デビューということがあります。例えば高校デビューというふうに。
 この俗語はなかなかいいものだと気に入っています。4月はまさにデビューのチャンス。これまでの自分はさておいて、新たな気分で新世界デビューしませんか。
 最近の若者は自分のキャラを作り、それを一種の仮面として人付き合いするようです。そしてそのキャラが周囲の人と重ならないこと(キャラがかぶらないこと)を気にして自分を上手く出していけないことも多いとか。
 無理矢理作ったキャラは類型的になりがちです。素直に自分を表現すれば、それだけでたった一人の個性が表れます。さあデビューの時間です。

2008年3月25日 (火)

新聞の文字が大きくなる

 31日から朝日新聞、読売新聞が活字を大きくして紙面を一新します。ご年配の方々にも読みやすくなるはずです。確実に進行している高齢化社会に対応するものといえるでしょう。
 ただ私は少々うがった見方もしています。新聞を読む人の数は減っていると思います。購読者の推移は調べていないのでわかりません。買っても読んでいない人が多いと思うのです。最近のニュースの読み方はインターネットによるものもあります。携帯電話に配信されるニュースは私もよく利用しています。待ち受け画面に自動的にテロップが流れるのです。
 インターネットで配信されるニュースの特徴は文章が短いことです。表示画面の大きさの制約を受けるからでしょうか。簡潔なのは本紙を買わせる目的もあるはずです。しかし、こうした記事に慣れてくると、印刷された長い文章を読むのが逆に面倒になります。
 文字を大きくすれば記事の文字数が減り、必然的に簡潔な記述が求められるのです。
 じっくりと文章を読む時間と心の余裕がなく、基本的な読解力も低下したことが活字の大型化の隠された要因ではないでしょうか。今度の紙面改革で記事の文章まで大味にならないことを切望します。

2008年3月15日 (土)

思えばいとしい?

 卒業のシーズンです。私の職場でも今日は卒業式でした。卒業式といえば「仰げば尊し」と「蛍の光」が歌われます。どちらもスコットランド民謡といわれていますが、「仰げば尊し」の方は伊沢修二の作ではないかといわれているようです。「蛍の光」は正真正銘のスコットランド民謡で'Auld Lang Syne'(Old Long Since)が原題です。原詩はロバート・バーンズの作とされ、旧友との別れに臨み酒を汲み交わそうというものです。
 さて、この2曲とも今歌われている日本語の歌詞は文語体です。小学生でも歌える歌詞でも、その意味はというととたんに怪しくなるようです。かくいう私も「仰げば尊し」の、

 思えばいととしこの年月

を「今思えば愛しく思うこの歳月を」の意味で解釈していました。「いと」は非常に、「とし」は速いという意味だと古文で習っても、これと結びつくまでにはかなりの時間が要りました。「蛍の光」も

 いつしか年もすぎの戸を

の部分がどうしても分からなくて「トシモスギ」なるものがあると考えていたことを白状します。
 なお、「仰げば尊し」の2番、「蛍の光」の3、4番が戦時中の考え方に基づいたものであるということで省略されていることもこの際、思い出しておこうと思います。「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」くらいならいいと思いますが。
 さて、この3月、卒業を迎える皆さん。おめでとうございます。すっきり意味を理解して「蛍の光」を歌ってお送りしたいと思います。

2008年1月18日 (金)

キス・アンド・クライ

 世の中には色々な言葉があって、その中にはその意味を知ると忘れられなくなるものがあります。ここ数年、フィギュアスケートは男女とも成績がすばらしく、注目されていますが、最近のテレビ中継で覚えたのが「キス・アンド・クライ」です。これはもちろん、kiss and cryのことのようです。ご存知の方はいわずもがなと思われるでしょうが、知らない方にとっては一体何のことだろうと知りたくなりませんか。

 このずいぶん艶っぽい名前は、スケート選手が演技を終えた後に採点を待つ場所の俗称なのです。得点が出るまで少々時間がかかることが多く、選手は緊張の面持ちで採点を待ちます。隣にはコーチが座って選手を励ましている姿もよくみられます。得点が出た瞬間の選手の表情の変化は、テレビ観戦者にとっては競技そのもの以上の「見もの」かもしれません。確かにキスもクライもよく見られます。これを知ると忘れられない名前になりますでしょう。

 明日からセンター試験が始まりますが、受験生諸君にとっての合格発表を待つ気持ちはキス・アンド・クライに座る選手と同じようなものなのかもしれません。試合後数分で結果が出るスケートのようにはいきませんが、合格の栄冠を勝ち取るまで努力を続けてほしいと思います。そして最後にはキス(はしないでしょうが)とクライ(といっても歓喜の涙)で終わってほしいと思います。

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック